Story
Story Vol.20
とまり木の時計が生まれるまで
誕生から発売までの道のりについて、スタジオスルメの菊池氏に想いを語っていただきました。作品への思い入れからレムノスとの出会いなど、お二人の人柄が感じられる心温まるエピソードです。
[文: 菊池 光義]
とまり木の時計の誕生から発売までの
道のりについて、スタジオスルメの
菊池氏に想いを語っていただきました。
とまり木の時計が生まれるまで
1時間に一度、分針と時針が交差するとき、昆虫が葉っぱの上で羽を休めます。ふと時計を見上げた時に、葉っぱの上で休憩する彼らの姿に出会えたら、何だか少し良いことがありそう。時計の針を葉っぱと昆虫に見立てることで、素敵な物語が生まれました。
スケッチブックの隅の小さなイラスト
2012年。当時美術学校の同級生だった妻と一緒に、学校を卒業すると同時に独立して、スタジオスルメを立ち上げました。狭いアパートでアルバイトをしながらの事務所立ち上げ。まずは認知してもらわないと意味がないということで、いろいろな展示会に応募して出展することにしました。お金は全然なかったけれど、デザイナーとして活動できることが嬉しくて、とにかく楽しくてしょうがない毎日でした。お互いのスケッチを見せあいながら出展するものをあれこれ相談していると、ふと妻のスケッチブックの隅に書かれたイラストに目が留まりました。丸い枠の中に葉っぱと蝶々が書かれている小さなスケッチ。寝ぼけて書いたのかな?みたいなことを言っていたけれど、なんだか僕はそのイラストが凄く気に入って、それをプロダクトにしてみようと決めました。
アートピースとしての試作
小さなイラストを形にするために、頭を悩ませる日々が続きました。どうやって葉っぱの上に蝶々が止まっているようなスケッチを製品にしよう。出来たら本当に浮いているような、そんな不思議な見え方を考えました。試行錯誤しながらあれこれと考えて、最終的に磁石を使って蝶々を動かす構造が決まりました。早速事務所にあるスチレンボードやアクリルと時計のムーブメントで試作品を作って実験。数日かけて実験して、ようやく蝶をうまく動かすことに成功しました。実験が成功したらあとは早いもの。そのままホームセンターで必要な材料を買いそろえて、自分たちの手だけで展示会に出すサンプルを完成させました。そのときは知らなかったのですが、実は時計のムーブメントにはコイルを使っているので、磁石は何かしらの影響を与えてしまうのです。いま思うとアートピースともいえる、初めてのプロトタイプでした。
インテリアライフスタイルへの出展、出会い
出来上がった試作は2013年6月に開催されたインテリアライフスタイルへ出展しました。周りのブースには様々なデザイナーが出展していて、なんだか変に緊張していた気がします。というのも僕らが出展していたエリアは、ひと組みだけドイツで開催されるアンビエンテという国際消費財見本市に無償で招待してくれるというもの。もしかしたら自分たちも選ばれるかもしれない、とドキドキしながらブースに立っていました。そんなドキドキしながらの展示会初日のお昼過ぎ。少し恰幅の良い、優しそうなおじさんがふらりとブースに来ました。僕の説明をにこにこしながら聞いてくれて、話が終わったころにゆっくりと口を開けました。この作品を見て何かエネルギーを感じて、話しをしようと決めたんよ。これはどこかと商品化している?なんでこれを作ろうと思ったの?いろいろと会話をして、最後にもし商品化をするつもりがあるならうちの会社に来ると良いよ。と名刺をくれました。それがタカタレムノスの高田博社長でした。高田社長にエネルギーを感じていただいたお陰か、それとも高田社長が福を運んでくれたのか、その展示会の最終日に僕らはドイツへ招待されるデザイナーに選ばれました。
高岡のタカタレムノス本社へ
展示会後に受賞の報告も兼ねて、高田社長に半信半疑でメールでやりとりをしてみると、すぐにうちの工場を見ながら話をするのはどうかと提案をしてくれました。なんと交通費と宿泊費を出してくれるとのこと。駆け出しのデザイナーだった僕たちとしてはまさに夢のよう。事務所で初めての出張です。緊張しながら、でもうきうきした気分で妻とふたりで時計の試作を持って高岡に向かいました。当時は新幹線がなかったので、はくたか号に乗って。窓から見える海が本当に綺麗でした。高岡ではサングラスをかけた高田社長が待っていてくれました。そのまま工場を周って高田製作所とタカタレムノスの工場を案内してくれて、本社で時計の打ち合わせをしました。いまでも商品開発でやりとりさせていただいている武脇さんとも、このとき初めてお会いしました。みんなにこやかで穏やかで、素敵な会社でした。
本社の会議室には掛け時計がズラリ。このひとつひとつにデザイナーの想いがこもっていると考えると、何だか緊張。そうなのです。僕は緊張してばかりなのです。打ち合わせのまずはじめに、高田社長から僕らが作っている磁石の構造では製品化は難しい。でもこの世界観を表現するためにはうちも全力を尽くす。一緒にチャレンジしてみない?と発言されました。
当時は浮いているようなデザインにこだわりたくて残念な気持ちが半分、それから高田社長がこのデザインに可能性を感じてくれているということの嬉しさが半分でした。良い構造が考えられるか不安もたくさんありましたが、一緒に良いものを作り上げようという、これからチームで動いてゆくという雰囲気に安心してこちらからもお願いしました。これが長い「とまり木の時計」の商品開発の第一歩でした。
大切なことを学んだ宴
その日は高岡に宿をとっていたので、夜は高田社長と宴。デザインのこと、ものづくりのこと、いろんな話を聞かせてもらいました。当時はわからないことも多かったことが、いまになっては段々と理解できてきたように思います。いまでも思い出すと本当に温かい人でした。元気をもらって。大事なことを教えてもらって。人生の恩人だと思います。高田社長の教えで、いまでも守っていることはいくつかあります。そのひとつが万年筆を使って文字を書くこと。シンプルだけれどとても大事な教えだったと、いまも感じています。ペンを握るたびに、背筋がしゃきっとして丁寧に生きようと思い直します。ちなみに高田社長はモンブラン派でしたが、僕はペリカン派ですけどね。
商品開発の日々
それから商品開発の日々が始まりました。世界観をどう表現するか。蝶々が止まっている構造は磁石以外でどうやって作るのか。文字盤はどうするべきか。
レムノスさんとの商品開発が始まった翌年にはドイツのアンビエンテで展示を行ない、国も人種も様々な方から本当にたくさんの意見をいただきました。とまり木の時計の世界観をどうやってまとめてゆくか、何度も壁に突き当たりました。
高岡には定期的に足を運んでレムノスのみなさんと試行錯誤を重ねながら、ひとつひとつの壁にじっくりと取組んでいるうちに、最初に声をかけてもらってから5年が経ってしまいました。菊地さんと武脇さんはじめ、タカタレムノスのみなさまにご意見をいただきながらひとつひとつ壁を乗り越えていって。漠然としたコンセプトが深堀りされて、ターゲットが明確になり、アートピースが製品になりました。
構造は磁石から何度も検証を重ねて、最終的にレムノスさんからアドバイスいただいたバランサーに蝶々を配置する形に落ち着きました。(バランサーは時計の動きをスムーズにするための役割を担っているパーツです。)蝶々は3Dプリンターでの試作から樹脂での半立体的な印刷、アルミ板の曲げ加工まで様々な可能性を検証。文字盤も最初のシンプルな指標だけのものから、最終的には温かみのある書体の数字が入ったものに世界観が変化しました。
メーカーさんにとってひとつの製品に5年というのはいつお蔵入りしてもおかしくないものだと思うのですが、レムノスさんは良い形を目指してずっと一緒に探っていただきました。ものづくりへの取り組み方と姿勢はこういうものなんだと、商品開発の過程で学んだような気がします。
じっくり取組み過ぎたかもしれませんが、そのお陰で本当に納得するものだと胸を張って言えるデザインに仕上がりました。そうして出来上がった商品の最初の展示会は、高田社長に出会ったのと同じインテリアライフスタイルで発表。展示会でレムノスさんのブースに時計が並んでいるのを見たとき、すごくこみ上げてくるものを感じました。この時計が発表されたときに、なんだかデザイナーとして本当に一人前になったような気がします。本当にたくさんのことを学ばせてもらった開発の日々でした。
商品が発売してから
商品が発売してから、時計の売れ行きは好調というお話しを伺うたびに嬉しくなります。僕だけかもしれませんが、たまにインターネットで検索してレビューを読んだりもしています。温かいコメントから辛口のものまで。どれも自分の手掛けたデザインに対してのコメントだと思うと、じっくり読んでしまいます。途中で何度か挫けそうになったこともあったのですが、頑張って商品化までたどり着けて良かったなとしみじみ感じます。これから「とまり木の時計」がいろいろな家庭に羽ばたいていってくれたら本当に嬉しいです。朝の忙しい時間にふと、親子で時計を見上げて、恋人同士で寄り添いながら、そこからまたいろいろな思い出や物語が生まれていってくれたらデザイナー冥利に尽きます。
それから余談ですが、商品化後に妻とふたりで3カ月かけて世界一周をしました。ドイツの展示会で世界中のデザイナーとの出会って経験してからずっと、もっと世界を見てみたいという想いを抱いていました。駆け出しのデザイナーから少し成長して、とまり木の時計も商品化して、自分たちの中でひと区切りついたような気がして妻と渡航しました。話が長くなるので割愛しますが、海外では様々な国の人と交流して話を聞いたり、本当に数えきれないくらいのインスピレーション受けました。(ちなみにレムノスさんの商品もいくつかの国で見かけましたよ。)そのときの経験とインスピレーションをデザインにまとめて、いまちょうどレムノスさんに提案しているところです。これからどんな商品をデザインできるんだろう。もっと素敵なデザインを世に送り出したい。わくわくすることがたくさんです。
STUDIO SURUME
STUDIO SURUME
菊池光義、1988年茨城県生まれ。増田佑佳、1989年茨城県生まれ。2012年に設立されたデザインスタジオ。家具や家電、生活雑貨やインテリア小物などのプロダクトデザインから、商品のロゴ・パッケージやカタログなどのグラフィックデザイン、商品開発のディレクションやブランディングに至るまで、ものづくりを総合的にサポート。噛めば噛むほど味が出るようなモノやサービスをデザインする、ということを大切にしながら活動中。文化学園大学外来講師。